岐阜県岐阜市生まれ。 全日本空手道連盟公認5段。健康運動指導士、日本体育協会公認コーチの資格を持つ。 4歳の頃交通事故に遭い重傷を負い、後遺症を克服するためのリハビリテーションとして、小学1年生から剛柔流空手道を学ぶ。 身体を鍛えることが当初の目的であったが、空手道に夢中になっていくうちに後遺症を克服し、競技という勝負の世界に身を置くようになる。 社会人になった若井敦子は、大会に出場しても結果を出すことができず、苦悩の日々を過ごしていた。 一度は競技を退くことも考えたが、1995年1月に突然、「世界チャンピオンになる!」と宣言。 その後は猛練習に明け暮れ、1997年、「第2回東京世界女子空手道選手権大会」において、国際大会初優勝。 翌年1998年、「第14回世界空手道選手権 ブラジル大会」に、初出場し初優勝。 2004年、「第17回世界空手道選手権 メキシコ大会」にて、前人未到の4連覇を達成。 この記録は、ギネス世界記録として認定される。 2005年、「第7回ワールドゲームズ ドイツ大会」の3連覇を達成し、競技を引退。 若井敦子は、当時の常識をくつがえし社会人となって開花したことから、「遅咲きの選手」とも呼ばれたが、その軌跡から同世代の共感を呼び、次世代の可能性を広げることとなった。 現在は、地元のTVやラジオに出演し、講演会やイベントなどでも活躍。 その他、これまでの形式にとらわれず、年代を超えて、心身ともに元気と勇気を提供する新しい空手スタイル「Encouraging(エンカレッジング)空手」をプロデュース。 また、2007年より西濃運輸株式会社の空手道部監督に就任。 日々、空手の普及に努めている。