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生年月日   昭和46年(1971年)9月12日
出身地   岐阜県岐阜市
血液型   B型
趣味   舞台鑑賞
段位   全日本空手道連盟 公認6段
資格   健康運動指導士
日本体育協会上級コーチ
 
昭和59年3月   岐阜市立岐阜小学校
(旧岐阜市立京町小学校) 卒業
昭和62年3月   岐阜市立岐阜清流中学校
(旧岐阜市立伊奈波中学校) 卒業
平成2年3月   岐阜県立岐阜総合学園高等学校
(旧岐阜県立岐阜第一女子高等学校)卒業
平成4年3月   近畿大学短期大学部商経科 卒業
 
(海外)  
世界空手道選手権   ('98、'00、'02、'04)4連覇(大会史上初)
ワールドゲームズ ('97、'01、'05)3連覇
ワールドカップ ('97)優勝
オープン・ド・パリ ('03)優勝
アジア競技会 ('98、'02)2連覇
アジア選手権 ('97、'99、'01、'04)4連覇
   
(国内) 
全日本選手権   ('97〜'04)8連覇
国民体育大会 ('97、'98、'99、'01、'02)優勝5回
全日本実業団選手権 ('93〜' 95、'97〜' 01)優勝8回
 などその他多数
 
       
平成5年(1993年) 10月   岐阜市体育協会 最優秀選手賞表彰
  11月   岐阜市教育委員会 教育功労者表彰
平成6年(1994年) 12月   岐阜県民栄誉賞(平成10年、12年も受賞)
平成8年(1996年) 1月   岐阜新聞社 岐阜新聞スポーツ賞
平成9年(1997年) 2月   岐阜県教育委員会 競技会等成績優秀者教育長表彰
  12月   中日新聞社 中日ぎふ体育顕彰
平成10年(1998年) 1月   岐阜県体育協会 国民体育大会賞
  1月   読売新聞社 日本スポーツ賞
平成11年(1999年) 1月   岐阜市民栄誉賞
  2月   岐阜県教育長表彰
  12月   中部運動記者クラブ 中部スポーツ賞特別賞
平成12年(2000年) 12月   岐阜県知事特別表彰
平成15年(2003年) 1月   岐阜県民栄誉大賞(現在、受賞者4名)
  3月   文部科学省表彰
  6月   JOCスポーツ賞優秀選手賞
平成17年(2005年) 6月   文部科学省スポーツ功労者顕彰
    などその他多数
 


 岐阜県岐阜市生まれ。
 全日本空手道連盟公認5段。健康運動指導士、日本体育協会公認コーチの資格を持つ。
 4歳の頃交通事故に遭い重傷を負い、後遺症を克服するためのリハビリテーションとして、小学1年生から剛柔流空手道を学ぶ。
 身体を鍛えることが当初の目的であったが、空手道に夢中になっていくうちに後遺症を克服し、競技という勝負の世界に身を置くようになる。
 社会人になった若井敦子は、大会に出場しても結果を出すことができず、苦悩の日々を過ごしていた。
 一度は競技を退くことも考えたが、1995年1月に突然、「世界チャンピオンになる!」と宣言。
 その後は猛練習に明け暮れ、1997年、「第2回東京世界女子空手道選手権大会」において、国際大会初優勝。
 翌年1998年、「第14回世界空手道選手権 ブラジル大会」に、初出場し初優勝。
 2004年、「第17回世界空手道選手権 メキシコ大会」にて、前人未到の4連覇を達成。
 この記録は、ギネス世界記録として認定される。
 2005年、「第7回ワールドゲームズ ドイツ大会」の3連覇を達成し、競技を引退。
 若井敦子は、当時の常識をくつがえし社会人となって開花したことから、「遅咲きの選手」とも呼ばれたが、その軌跡から同世代の共感を呼び、次世代の可能性を広げることとなった。
 現在は、地元のTVやラジオに出演し、講演会やイベントなどでも活躍。
 その他、これまでの形式にとらわれず、年代を超えて、心身ともに元気と勇気を提供する新しい空手スタイル「Encouraging(エンカレッジング)空手」をプロデュース。
 また、2007年より西濃運輸株式会社の空手道部監督に就任。
 日々、空手の普及に努めている。

 
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